{あれ K#EDD2/5527}t_w 美崎薫『記憶する道具 : 生活/人生ナビゲータとしてのライフログ・マシンの誕生』 ハイパーテキストによるライフログの追憶。 というかエッセイみたいな感じ。 掘り下げてほしいところをあえて掘り下げない感じがつれない。
{美崎薫『記憶する道具 : 生活/人生ナビゲータとしてのライフログ・マシンの誕生』 K#EDD2/F108}t_w (12){「本質的にハイパーテキストは、「これ」と「あれ」を結びつけるシステムである」}{『ミーム・マシーンとしての私』}{『エレファントム 象はなぜ遠い記憶を語るのか』}{あれ}{あれ}{「記録は他人を支配するためのツールとして使える」}{『脳の中の幽霊』}{人生は定義不能}{あれ}{記憶する住宅}
{あれ K#EDD2/40E7}t_w デライトでは他者の人となりを知る術がほとんどない デライト のみならず多くのSNS(さらに言えば現実でも)で起こっている現象だと思われる。他者の人となりを完全に把握しようと思うならば、その人の完全な記録をすべて知り尽くす必要がある。それはKNSだろうがSNSだろうが現実であろうが関係なく発生する。 また、誰かに「知ってもらってもよい」と思ってもらうには交流が必要で、そういう意味ではデライトには交流する機能が欠けているために、他者の人となりを知る術が欠けていると言える。 しかし、他者の思考の記録を読むことができるという点においては、他者の人となりを知るという目的に対して、デライト(KNS)の次に出るものはそうそうないのではないかと思う。