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アメリカ楽観主義
『情報ネットワーク社会』 でポルノトピアが出てきた文脈

(主張)情報化は文化を洗練しない
(例示)情報化が進んでいるにもかかわらず、大衆社会において「ポルノトピア」が現実になっている

情報ネットワーク社会は、一体この傾向を加速していくのだろうか。良いことづくめの情報化社会論では、ここにも楽観論、つまり極端に言えば情報化社会はこの資本主義の文化的矛盾を解決するという見方が存在する。例えば、SRIStanford Research Institute)の会長ウィリアム・ミラーは、1983年4月、スタンフォード大学で行われた公演で、先端技術がアメリカ経済に新しい活力をもたらしていることを説いた後に、小規模分散型のシステムと、資本から情報にパワーが移る経済においては、生産のシステムと文化との矛盾はなくなり両者は融合していくという論点を強調した。

こういう時、アメリカ人はすごい迫力をもって語りかけてくる。私はそれを聞いていてこれもシリコンバレーらしい風土だと感じたが、しかし、いかにもアメリカ的楽観主義だという思いも禁じ難かった。既にしばしば述べてきたように、私も、情報化市場機構を洗練し、それを通じて人間の顔をした経済に近づく可能性を持ってきているとは思うが、文化となると話は別である。技術・経済のシステム、その情報化は所詮手段にすぎないからである。また大衆社会の一部に享楽主義が横行し、市場機構がそれを扇動している現実、かつて悪い冗談と思われた「ポルノトピア」(スティーブン・マーカス)が一部に現実になっていることを見れば、経済のスタンスから文化を語ることは禁欲的であるべきかもしれない

『情報ネットワーク社会』 p.176