t_wの輪郭

Feedlyでフォローするボタン

 『ツァラトゥストラ』の私の最初の訳本は、1909年の初回に寄稿されおよそ20か月近くに亘る文字通り専心の努力を経て、1910年の暮れに脱稿されたのであつた。
 それから十年を過ぎた今年の三四月頃になって、私は誰からも()いられない加之(のみならず)、勧められさへもしない、『ツァラトゥストラ』の改訳を寂しい心持の中にひとりでコツコツとやりだした。そして殆ど以前のより以上とさへ言いたいほどの苦心に苦心を重ねてきて、丁度今、この改譯本の最終の頁を描き上げたところである。
 この改譯本が最初の譯本に比べて、どれだけ部分的にも全體的にもより誤の少いものになっているか、どれだけ原著の内容にも形式にもより近くなつてゐるか、また特にどれだけ独立の芸術品としてみても、より價値のあるものになってきているかというようなことに、ついては訳者たる私自身から何も言うべきではない。ただ、この改訳本においても最初の譯本におけると同じく、所詮口語訳なるものから、かなり遠い文體を取らざるを得なかったことについては、一言その理由を述べておくことも必要があるように思う。
 私の見るところをもってすればルウテル訳聖書の独逸語をその大體の共調にしているらしい『ツァラトゥストラ』の様式は常に簡明であると共に高雅である。単純であるとともに蒼古である。謂はば未来派的に限りなく自由であると共に、總ての尙古主義を超えて尙古敵であり、最も厳密なる意味に於て加特力的である。
 明日高雅な、蒼古な、尙古的加特力的な原著者の様式が、私のお粗末な改訳本にどれだけ保存されているかは暫く置き、それを訳出する上に、いわゆる口語なる現代語の一體が、ただに上乗の物でないのみならず、むしろ甚だ不便なるものであるということだけは、私の敢て斷言するに躊躇しないところのものである。