なぜデライターが増えないのかは依然として謎である。
第一次デライト応援広告によってデライターが増加しなかったのを見るに、単純に露出が足りないという問題でないことは分かった。
時代や人々にとってデライトが早すぎるという問題もあるだろう。ソフトウェアの利用に長けているであろうソフトウェア開発者にとってさせ、デライトはわかりにくい。ただそうした言い訳をしていては10年20年待つことになってしまう。朝が来ないなら朝を迎えに行きたい。
なぜデライターが増えないのかは依然として謎である。
第一次デライト応援広告によってデライターが増加しなかったのを見るに、単純に露出が足りないという問題でないことは分かった。
時代や人々にとってデライトが早すぎるという問題もあるだろう。ソフトウェアの利用に長けているであろうソフトウェア開発者にとってさせ、デライトはわかりにくい。ただそうした言い訳をしていては10年20年待つことになってしまう。朝が来ないなら朝を迎えに行きたい。
ですが,既存のデライト利用者に趣味嗜好が似た人は実はそれなりにいて,デライトも知っているのだけど,彼らにとって「魅力的な席」はもう取られているように見えているのかもしれませんね。誰も使っていない凄く変わったサービスを使うのはやぶさかではないが,そこにすでに濃い利用者が何人もいたら冷めてしまうというか。
例えば,t_w さんがデライトを辞めたら,t_w さんに似た人が割とすぐにデライトを使い始めたりするのかもしれません。そう考えてみると,確かに私自身も,私が一番先にデライトを使うのはこの上なく楽しいことでしたが,今このような状況のデライトで後から何人目かのデライターになりたいかというと,微妙なところです。
今のデライトは,極端な新しもの好きにしか訴求していないのに,極端な新しもの好きにとって手垢がつき過ぎているというジレンマがあることは否定できません。
鶏卵問題になってしまうが、やはり利用者が増えれば利用者が増えるという構図を見てしまう。1万人の利用者がいれば、t_wの存在に気づく利用者がごく少数になるだろう。席が埋まってるだのどうのというのは薄まるはずだ。
しかし、そうしたエンジンが回り出す段階にはまだないので、何らかの力によって乗り越えなければいけない谷がある。