ソフトウェア開発をやっていると,ここが悪い,あそこが分かりにくいなどといったことばかり考えてしまいがちだ。とりわけデライトは新奇に見える代物なので,開発者も利用者も,“デライトの問題点”について考え込み過ぎる嫌いがある。
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事実,デライトの使いにくさや分かりにくさを改善して利用者が増えた試しがない。いま日常的に利用してくれているのは,あらゆる面でいまとは比べ物にならないほどデライトが貧弱だった時期に,どこかで私がデライトについて語っているのを見て,その可能性に興味を抱いてくれた人達だ。
これには唸らされた。確かにデライトの分かりにくいところばかり注目してしまっていたが、今いるデライターの大半が、デライトが今よりもずっと貧弱だったころに来訪していることを考えれば、その分かりやすさよりも、サービスとして魅力があること(擁するコンテンツに魅力があること・サービスを使わずにいられないこと)がより強く利用者を引き付けるはずだ。私自身を事例にとれば、宇田川さんの文章に惹かれたからデライトを使い始めているし、デライトに可能性を感じたから継続しているし、デライトを使わないと情報が整理できなくなってしまったから使わざるを得なくなっている。
デライトを説明する語彙の新規性(輪郭・引き入れなど)についても、TwitterがTweet、Retweetという語彙を作り出した前例があることを考えれば、普及してしまえば一般化して問題ではなくなる。
私個人として、宇田川さんの一日一文を読みたい気持ちがある。応援したい。