先日の一日一文「なぜデライトに希哲館事業が必要だったのか」でも書いたように,デライトは希哲館事業の一環として開発されている。
今日は,この「希哲館」という命名に関する思い出話でも書いてみようと思う。
14年ほど前にこの事業を始める時,まず考えたのは,事業の理想をどのような言葉で表現すべきか,ということだった。後からコロコロ変えたくなかったので,半永久的に使うつもりで徹底的に考え抜いた。
最初に思い浮かんだ言葉の一つとして強く記憶に残っているのは「自由」だ。希哲館は「自由館」だったかもしれない。
ただ,これでは何かが足りないと感じた。当時の私は,この「自由」が現代においては意味を失いつつある,と感じていた。かつて,「自由」を掲げることに意味があったのは,「自由の敵」が割と明確だったからだ。しかし,いま重要なのは,何によって,どのように自由を守るのか,ということだ。「自由」だけではその回答にならないのだ。
もう一歩踏み込んだ表現を見つける必要があった。それが「希哲」だ。西周という人物がむかし考えたフィロソフィーの翻訳語に「希哲学」というものがある。これが変化して今でいう「哲学」になった。失われた「希」を取り戻し,フィロソフィーを万人が共有出来る理念にしたい,と考えた。誰もが賢哲にはなれないが,意志さえあれば誰でも希哲の人にはなれるからだ。
つまり,知を希求することこそ,これからの自由の要になる。それが「希哲館」の名にこめられた思いだ。
それから10年以上経ち,反知性主義が先進国の課題として認識されるようになった。知識産業が隆盛する一方,選り人と大衆の溝は広がるばかりだ。「希哲」は,万人が知の恩恵を受けられる社会を築くための鍵だ。
……「希哲館」の命名に関してはもっと色々な話が出来るのだが,一日一文で書くには長過ぎた。
例えば,なぜ「館」を付けたのか,という話もある。希哲堂・希哲院・希哲荘・希哲庵・希哲亭……などという案があった。
偶然にも kitetu.com が希哲館のドメインハックになった話,「希哲」がそのまま希哲紀元の年号になった話も書きたかったが,また今度にしよう。