昨日公開した「発明の祖母」という文章の中で,人間の情報処理能力を飛躍的に向上させる,いわゆる「知能増幅」の技術には実はそれほど需要が無い,ということを書いた。
その理由はいくつか考えられるが,そもそも世の中の大半の人が扱っている情報は,それほど多いわけでも複雑なわけでもない,というのが一番分かりやすいところだろう。そして,社会はその標準的な情報処理能力を前提として構築されている。多くの人は知能増幅が出来ればいいなと考えるだろうが,出来なくても困ることはない。
昨日の文章にも書いたが,現状,知能増幅技術というのは,「なくてはならないもの」ではなく「あったらいいもの」でしかないわけだ。
一方で,人工知能はもはやバズワードと言われるくらい商業的な価値を持っている概念だ。この差は一体何なのか,ずっと考えていた。
これは,人工知能という言葉が巷で熱狂的に使われるようになった時期と,仮想通貨が流行りだした時期が重なっていることからある程度説明出来るのではないかと思う。人工知能と仮想通貨を支えているのは,「人間を超越した何か」が我々の社会を変えてくれる,という期待だ。これを私は「新しい神」と呼び,これを崇拝するような言説を「技神論」(technotheism)と呼んできた。
なぜこの手の技神論が流行るのかというと,誰でも流行に乗れて,そんなに難しく考えなくても,何となく未来を大きく変えそうな,SF 的な分かりやすさがあるからだろう。開発者側から見ると,人工知能の方法論はある程度確立されていて,努力や投資が報われやすい世界でもある。要するに,世界観や価値観の転換を必要とせず,これまでの現代社会の延長線上で考えやすいのが人工知能や仮想通貨なのだと思う。
ただ,私は,いま世界に必要なのは「新しい神」ではなく「新しい人間」なのだという,ちょっと違う世界観を持っている。これを私は「技人論」(technohumanism)と呼ぶ。世界初の実用的な知能増幅技術とも言えるデルンの開発に成功した理由はここにある。
とはいえ,その世界観をどう普及させるのか,というのは難しいどころの話ではない。現代という概念が変わる話だ。これに気付いた時,私は限りなく絶望に近付いた。押し寄せる絶望感と闘い,突破口を探し続ける日々の中で着目したのが「メモ」だった。
デルンを極限まで軽常(カジュアル)にしたメモサービスを作ったらそれなりに受け入れられるんじゃないか,という閃きが,ライト版デルンこと「デライト」の出発点だった。
考えてみると,メモというのは人間の情報処理を助ける最も基本的な手段であるにも関わらず,紙の時代からほとんど進歩していない。実際,いまだに紙を使ったメモ法の類は重宝されているし,あえて勘報機(コンピューター)ではなく紙を使う,という人も少なくない。知能増幅技術に需要がないのと同じで,その程度で間に合ってしまうからだ。
ここにデルンを応用した,誰でも気軽に使えるメモサービス,メモアプリを投入したら,デルンの圧倒的な利便性に気付いてもらえるかもしれない。これに気付いた時,私の中で「メモ」は,人工知能や仮想通貨どころではない可能性が人知れず眠っている穴場中の穴場になった。
メモから世界が変わる……その日が現実に訪れる前に,こんな形で予言でも残しておきたくなった。