あれ
[デライト]どうなんだろう
一見して、複雑性が高そうで理解するのを辞めた
形式言語とか数学における領域を採用してそうな雰囲気だけ感じた
あと一覧のページみていてもよくわからなかった
「とにかく新しい人を集めたい」という場合には、衒学的な雰囲気は良くないかもしれない。「輪郭法が~~」とか言ってると、○○法ってついてる時点で引かれてしまう。
SNS的に活用する度合いを高めて、薄めていきたい。
待欄を見てもわからないのは、まぁ……うん……って感じだ。一枚剥かないと(輪結を手繰らないと)面白さが見えてこない。雑多に並んでいるだけに見えてしまって、その先にあるものが見えない。使っている人からすれば、待欄は今のこれで良いとなっている。本文の無い輪郭を非表示にしてしまったら、それを活用する機会が失われてしまう。
本文の無い輪郭を作るのが楽しい(前景で括ったときに、不意の出会いがあるのが楽しい)みたいなところがあるが、そこがどうも伝わりづらい。傍目には頭がおかしくなっているように見えるかもしれない。
「分かってないけど使う」ってならないのが難しい所。ぱっと見の「おもろ」があればいいのだけど。
Scrapboxとかは、ほどほどに難しいからいいんだろうな。適度な難しさだから共有したくなるというやつだ。
輪郭法、説明が衒学的なだけで、仕組みとしては単純なので、もうちょっとなんかいい感じにしたら、「適度な難しさだから共有したくなる」にできるかもしれない。
仕組み的には単純なのに、「複雑性が高そう」というのは、ぱっと見たときにリンクが多いからそう見えるのだろうか?
希哲17年2月7日の日記
SNS における Twitter が,個人知識管理サービスにおける Evernote に似た位置付けになってきて,「SNS 戦国時代」の訪れを感じる。一時停滞感のあった「メモ戦国時代」も再び盛り上がりを見せており,KNS たるデライトにとっては最高の状況が出来つつある。
GAFAM は停滞期に入り,次の時代が模索されている。人工知能の実用化が急速に進んだことで,かつての「人工知能幻想」は鳴りを潜め,人間の知能が本当の問題であることに多くの人が気付きつつある。
KNS として,全知検索演心として,知能増幅技術として,この時代の課題に最も単純明快で最も強力な解答を提示出来るデライトは快調に開発を続けている。デライトと時代がようやく密致しつつあるのを強く感じる。
最近,Twitter の代替として注目されている Nostr を興味深く眺めている。ネット受けするのに,分かりやすさも使いやすさも信頼性も効率性も高度な機能も実は必要ない,ということの好例でもある。
既成概念の組み合わせである Nostr は難しいといっても多少の知識があれば理解出来るし共有出来る。適度な難しさだから共有したくなる。最も知識のある層にも理解し難いデライトとは出発点が違うものの,新生デライトの完成を目指した全力疾走の通過点として,こういう受容のされ方がすぐそこにあるかもしれないと思える。