――インドに注目されたきっかけは何ですか。
これまた面白い出会いで、日本が関係しています。『ソフトウエア企業の競争戦略』を書きながら、同時に日本企業のケーススタディを書いていて、それがMITの図書館に保管されていました。1988年、MITの卒業生のインド人、ナレンドラ・パトニさんが、私が書いた日立のソフトウエア工場についてのケーススタディを手に持って、オフィスにやってきたのです。
そして、言いました。「僕はこれをインドでやる」と。彼が創業した会社パトニは大きく成長し、ニューヨーク証券取引所で上場、私もパトニの取締役を務めていました。彼は「インドのソフトウエアの父」と呼ばれています。
インド
2021/7/18 11:06:00