t_wの輪郭

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 出社すれば働いてる気分になれそうな気がする。家にいると、業務時間中脳内エライ人が無限に詰めてくる。サボるけど。焦燥感に追われながらいつもサボってる。何がとは言わないが許されたい脳内社会は厳しいんだぞおじさんに許されたい。

 休みを取るよりサボるほうが楽なんだけど、精神は休まらないので長めの休みが取りたい。


 成果を出したいという気持ちがあってしまうわけです。労働者が成果を出さないといけないというのは幻想だろうと思うわけです。仕事中毒というか、充実感中毒なわけです。目に見えない、よくわからない、定義のない充実感を求めて動いてしまうわけです。
 充実感中毒が続くと成果序列付けしてしまうので、成果を出してない人間を棒で叩きたい欲求が出てきてしまってよろしくない。
 この、成果を出してない人間を棒で叩きたい欲求を自分で自分へ向けてる状態が、業務時間中のうっすらとしたストレスの原因になってる気がする。
 つまるところサボる自分を自分で攻撃する構図がある。というか、この「サボる」という語を自分に対して使うということ自体が、自分自身に呪詛を吐いていると言える。

 これをやめたい

生活に必要な資源が自動で生産されるようになったとて、オマエタチの生活が自由になることはない。新たな序列パラメータが発明され、オマエタチは未来永劫それを奪い合うだけの生活を送る。オマエタチは給料が増えるわけでもないのに仕事に精を出し、ソシャゲでイベントを走り、SNSで大喜利をしている。オマエタチは組織内序列のために働いている。それが変わらない限りは、何が自動化されようとも自由には成れない。オマエタチが思い描く生活は来ない。

質的にはユニークで付け替え不可能で連続であるはずの諸個人の活動や行為を、このように等質の尺度によって測り、上下、大小に序列化するという操作が現実に見られ、文化も資本化されて機能をせしめられている限り、「文化資本」という言葉はリアリティーと隠された現実をえぐり出す力を共に持ち得るのである。

『文化と不平等 社会学的アプローチ』 異質性、多様性から等級・序列パラメータへ より引用