ちょっとしたデライト体験
デライトはなんでもメモであり、KNSでもあって個人知識を管理できる。
ただ、管理することは目的であって体験ではない。
山登りに例えると、準備・登山・登頂・下山までの一連の体験がある。登頂時に得られる快感は、あくまでも切り取られた一部の体験でしかない。登頂後の下山だって山登りにとっては重要な体験の一部だろうし、なくてはならないはずだ。
仮に下山を山登りにおける事後フェーズと考えると、事後フェーズにおいても楽しい体験が得られるのが肝なのかもしれない。最高潮になった気分をクールダウンし、記憶・感情を定着させるための良質な体験と言えるだろうか。
それが趣味になるかどうかは、後片付けまでもが楽しめるかどうか、と言い換えられそうだ。
デライトの良さを伝えるには、デライトで得られる体験を手短に追体験してもらうのが手っ取り早い。
デライトの個人知識管理と言えば、やはり自分で作れる検索とリンクだろう。忘れかけた知識を検索とリンクによって思い出すのがデライトで得られる体験の1つだ。
メモや管理することを登山や登頂とした場合、忘れた知識を思い出すことを事後フェーズと見なせそうだ。
しかし、忘れることは意外に時間がかかることでもある。事後フェーズまでを一連の体験としてユーザーが短時間で獲得するには、この忘れる操作を迅速に行わなければならない。
デライトでは投稿を素早くタイムラインの後方に押し流すことで擬似的に忘れる体験ができるはずだ。それを助ける役割があっても良さそうだ。
また、忘れた輪郭を思い出す体験を得るためには、引き入れ等の操作によって事前に検索の動線が作られていることが前提となる。いくら忘れても、それを思い出すためには検索ができる下地が整っていなければならない。
タイムラインをスクロールする方法もあり、それはそれで良いのだけど、それってSNSと変わらないし、デライトに来てまでSNSやりますか?という話になってしまう。SNSっぽさはあくまでも取っ付きやすくするための見せ方であり、SNSの使い方を甘受するものではない。
最初のうちは、引き入れするための輪郭が控えめに提示されても良さそうだ。
初心者にとって、他の輪郭がなければ引き入れができないというのは少し課題があるように見える。最初はこの壁を取り払っても良いのかもしれない。
単発投稿の次をサービス側が後押ししても良さそうだ。
時々、番無しが他ユーザーの輪郭に吊るされる形で輪郭を作ることがある。これって、誰かの輪郭を眺めていて、それで試しにちょっと描いてみたくなって、描き出したらなんか勝手に輪括されていたってことだと思う。共通の話題性があるわけでもなさそうなので、輪括したくてしたのではないのだろう。描き出しと同時に輪括されたことを分かっていないのかもしれないし、もしかすると輪括されたのを見て「なんかイケナイコトしちゃった」と感じて離脱してしまったのかもしれない。
真相は不明だけど、興味を持ってくれたユーザーを繋ぎ止めるヒントがここに隠れているような気がする。