率直で真摯なご意見,本当にありがとうございます。今のデライトでは読みにくい長文になりますが,折角思いを込めて書いて頂いたので,こちらも相応の気持ちを込めて書かせて頂きます。
いまデライトをよくご利用頂いているユーザーの方々も,皆さん例外なく,最初はもとあじさん同様「半信半疑」で,初期の投稿もどちらかというと苦言に近いものでした。様々な問題点について率直に指摘して頂いたことで改善出来たことも多々あります。今回ご意見を頂いたことも色々反省しながら考えをまとめる良い機会になっています。
何より,デライトは,普及どころか開発に成功するかどうかも分からない,という無謀なプロジェクトとして始まり18年以上になります。開発者を殺しでもしない限り芯は折れようがないので,ご意見・ご批判に遠慮の必要は全くありません。無から始まった物が人様に少しでも気にして頂けるようになったわけですから,全てありがたく受け止めています。
デライトの使い道についてですが,これは最近私自身よく考えているところです。
デライトは,もともと「具体的・限定的に,とりあえずこういう風に使う」ことを提示するために開発が始まったサービスです。
デライトが採用している CMS をデルン(deln)といいます。これはデライトよりもっと汎用的といいますか,「工夫次第で何にでも使える情報管理ツール」でした。さあこれを売り込もうと考えた時,あまりにも漠然としていて掴み所がないという問題に直面しました。そこで,まずは気軽に使えるメモサービスにしてみようと始まったのがライト版デルン,つまりデライト(Delite)の開発でした。
ただ,メモサービスにしただけではまだ利用イメージがわかないという方も多いだろうと思いました。かといって,枚挙に暇がない利用例を列挙してもかえって本質がぼやけてノイズになってしまいます。概要と実例を見てピンと来ない人が,だらだら長ったらしい利用例のリストを見る気になるかというと疑問です。もし具体的な利用例を提示するのであれば,訴求力の高いものを厳選する必要があります。それも,理想を言えば一つです。
そこで目を付けたのが SNS(厳密にはマイクロブログ)と個人知識管理サービスを結合した KNS というアイデアでした。「とりあえず使い始めてもらう」ことを考えるのであれば,マイクロブログ以上の入り口はないでしょう。Twitter を中心に宣伝しているのもここに理由があります。
ここまでしてもまだ使い道が分からない,という方が多くいらっしゃるのも事実です。文書や実装に改善の余地も多々あると思いますが,根本的なことを言ってしまうと,新しい技術について言葉で説明するのは本来難しいことでもあります。百聞は一見に如かず,概要を読んで分からなければ実際に使っている所を見てもらう,それでも分からなければ,その人にとってまだ機が熟していない,ということなのかもしれません。
個人的な経験から言えば,私は最初期の Twitter の使い道がよく分かりませんでした。最近,Google でゴミのようなページがよく引っかかるな,というくらいの感想でした。少しずつ話題や様々な使い方を目にすることが増え,ある時突然,今やりたいことにあれが使えるんじゃないか?と気付いた瞬間がありました。当時そういう人は多かったと思いますし,新しい技術に人が触れ始める時というのは得てしてそんなものではないでしょうか。
ある程度は時間が解決する問題なのであれば,今のデライトは非常に良い状況にあると思います。これが,ご指摘の中にもある「黄金循環」です。
実は,最近のデライトには右肩上がりにトラフィックが集まっています。アクティブユーザーの描出量や検索流入が増えていることに加え,もとあじさんのように様子見で読むだけの方も増えているのだろうと思います。
ご覧の通り,デライトは Twitter のようなマイクロブログよりも微細な情報を扱うことが出来ます。Twitter なら書き手にとっても読み手にとってもノイズにしかならない本当の思いつきを問題なく垂れ流せるように設計されているからです。それでいて,知番という識別子によるリンクは,ウィキのキーワードリンクよりも強力でまず切れません。更に,アウトライナー的に既存の情報がまとめられていきます。全てリアルタイムの公開状態で,大小無数のページが意味的な結び付きとまとまりをもって増殖し続ける仕組みです。
デライト上で完成しつつある情報蓄積・発信・集客・(広告)収益・開発の理想的な好循環,これを「黄金循環」と呼んでいます。これがこのまま加速し続ければ,知的活動に直接根差した知識産業の大金脈です。手前味噌ながら,昨今の SNS の世界的影響力も踏まえれば,その社会的・文化的可能性は計り知れません。
加えて,デライトは極めて効率的な開発・運営体制の構築に成功しており,全く収益が無い状態でも開発者が生きている限り,あと50年くらいは潰れようがありません。
要するに,デライトが多くの人の目に触れるようになるのは時間の問題だろう,と私は考えています。そして,人々の中でデライトについて意識する時間が増えることは,デライトの使い道について気付く機会が増えることでもあるのだろうと思います。
こうしたことは,ご指摘の思想臭さや難解さを隠さなくなった理由でもあります。目先の集客にとらわれず,長い目で見て,しっかりとデライトを理解して頂くための活動に注力出来るようになったわけです。
だいぶ長くなってしまったので,これについては新しい輪郭(以下)で書きます。