2025年1月3日日記
地元の友人宅に行った。実家から車で1時間ほどのところにある。別の友人の車に乗せてもらって行った。いく際にスーパーの酒担当をしていた友人おすすめの酒を買って行った。
友人は引っ越していた。部屋が広くなっていた。調度品も良くなっているように見える。やはり地方で安定した職につけると豊かな生活が送れる。加えて、友人の「生活」の能力が高いことにもよる。満足するレベルが高いのだろう。
友人に飯を作ってもらっていただいた。バゲットとサバのパテ、ラザニア、ウニと鮑の炊き込みご飯、チーズと生ハムをハニーマスタードで和えたもの、ラザニアを使ったパスタなどが出た。脳汁が出た。特に炊き込みご飯が危険な領域にあった。
そのほかにはアニメを見たり、ゲームをしたり、他愛もない話をしたりした。みんな元気そうだった。
私はこの友人宅にモバイルバッテリーを忘れて行った。取りに来るのはまた来年だ。
2025年1月1日日記
昨年の2024年1月1日日記から日記を書いてないことがバレたので書く。
帰省4日目。
姉の一家に男児が生まれて、姪と合わせて4人家族になってた。育児が大変そうだ。この甥の名前を覚えてないので、姉一家が実家に帰ってきてから「みてね」で確認する私。
午後におせちを食べる。近大と九州の養殖マグロが出た。初めて食べる。九州の方が脂が乗っていて美味だった。スジっぽいのも私には望ましい。
祖母sに顔見せに行った。
父方の祖母は風邪気味らしく調子が悪そうだった。なにを話せばいいかわからず気まずかった。
母方の祖母は元気そうだった。また、祖母の家の壁の木材をよく見てみたら、節がなかった。これは……高いやつでは。
社会人になるまで気づいてなかったが、なんもない田舎かつ収入が少ないということを差し引けば、私は育ちの良いボンボンだったと思う。文化資本マンだ。本を買い与えられ、躾をされ、金についてうるさく言われて育った。でも箸の握り方はいまだに汚い。正しい持ち方は手が攣る。
帰ってきて甥を抱っこしたり、姪と遊んだりした。対人MPが尽きた。
姪と甥がお昼寝に入ったので散歩に出た。
シャカシャカ歩く。人がいないので早歩きしやすい。自宅の近くは人が多すぎてこうはいかない。
歩きながら近隣を見るが、産業らしい産業がない。農業も工業も商業もない。衰退すべく衰退している。都市から遠く、空港からも遠い。道はグネグネしており、古めかしい木造住宅や、錆びたトタンの小屋が点々としている。そんな町だ。
田畑、住宅、川、海、寺、史跡、堤防などがモザイク状に入り混じり、良いテンポで風景が変わっていく。歩く分には楽しい。
Google Mapsで見つけた近所の城跡が気になるが、そこに行くと夕飯までに帰れない。近接しつつ途中で引き返した。明日行きたい。
家に帰る頃には軽く汗ばみ、足の裏が引き攣っていた。
夕飯。鍋。シャブシャブ。うめ。うめ。
食後の激烈な眠気により自室に撤退して軽く寝た。姪からはイビキが怖いと言われるので、人目を忍んで寝なければならない。
明日は私の手土産の和菓子に、あらかじめ送っておいたボトリングティーを合わせて食わせる。東京で身につけたささやかな資本力を親(と姉)にくらわす。