書かさった
2022/11/5 6:45:00
書いた文章が自分の能力を超えているために、自分で文章を書いたという実感が得られず、目に見えない誰かが自分の体を使って書いたのだという感覚を得ること
文章の構造を書き換えるのが怖い。一度書いたプログラムをリファクタリングするように、一度書いた文章も整理をつけてやることでより良い文章になると思われるのだが、基本的に私の文章は書いたというより書かさったものなので、それを整理という形で構造に手を入れると、積み木が崩れてしまって二度と組み上げられないというような恐怖を感じる。ちょこちょこした表現の修正とか誤字の修正とかに関しては特に恐怖は感じない。
この文章の構造を変える恐怖を乗り越えて、文章を徹底的こねくり回してこそ、本当の文章力が付き、書かさったから脱却できるのかもしれない。