デライトの機能は極めて少ない。基本的には描き出しと引き入れの2つがデライトの機能のほとんどである。そのために、デライトは容易に身体化する。使い慣れれば、自転車のようなシンプルな道具の如く、身体の延長となる。
身体の延長となった知識は失われない。人は自転車の乗り方を忘れない。
デライトが身体化すれば、そこに描き出した知識すらもが身体化する。デライトは、知識の描き出しも、探すのも、超高速でできる。引き入れの度に、関連する知識を目にする。記憶に焼き付けられていく。探すことが簡単になっていく。
デライトの機能は極めて少ない。基本的には描き出しと引き入れの2つがデライトの機能のほとんどである。そのために、デライトは容易に身体化する。使い慣れれば、自転車のようなシンプルな道具の如く、身体の延長となる。
身体の延長となった知識は失われない。人は自転車の乗り方を忘れない。
デライトが身体化すれば、そこに描き出した知識すらもが身体化する。デライトは、知識の描き出しも、探すのも、超高速でできる。引き入れの度に、関連する知識を目にする。記憶に焼き付けられていく。探すことが簡単になっていく。
2023年12月24日。クリスマスイブ。『デライト Advent Calendar 2023』の最終日の一日前でもある。
私がデライトを使い始めたのは2020年5月13日である。2023年12月24日時点における私はデライト三年生ということになる。
デライト以前の私がどのように思考していたのかは、もはや思い出すことはできず、記録にも残っていない。なぜならデライトがなかったからだ。紙や普通のデジタルツールでは、実質的に思考のログを残すことができない。それらでは「無益な情報」は削ぎ落とされ「有益な情報」だけが残される。
三年もデライトを使っていると、デライト無しに有効な思考はできなくなってきている。デライトは私の思考にとって不可分な一部となっている、『攻殻機動隊』では、インターネットによって自然発生した情報生命と人の融合が描かれている。あんな感じだ。
以下の2つのことからデライトは自転車と結び付けられる
デライトに順応すると、「散歩中に思いついたあれ」や「あれを考えるために調べたあれ」など、描き出した何もかもが超高速で取り出すことができる。
知識を保存するのも超高速だ。保存すべき場所を探し回る必要はなく、既存の書き出した知識に適当に引き入れておけば良い。目についた単語の輪郭に引入れておけば良い。取り出すのは適当にたどっていれば見つかる。なぜか見つかる。
直観で、「なんとなく」で引き入れるのが大事だ。探すときも直観と「なんとなく」で探すのだから、保存と探索は同じ道を辿る。
知識の保存と取り出しの超高速性は、あたかも脳の記憶が拡大したかのように感じられる。記憶の拡大は、思考の高速化をもたらす。日本の学校を出たならば、九九表を覚えさせられたかと思う。九九表を覚えれば、掛け算は10倍は早くなる。もし2桁の掛け算を全て暗記すれば、複雑な掛け算の速度は100倍かそれ以上になるだろう。
算数に限らず、限りなく多くの人間の知的作用が記憶できたならば、どれほど思考は早くなるだろうか。