一般的な人は一人でいることができず、人を誘う口実として映画やらゲームやらのコンテンツを使うわけだが、私のような人間はコンテンツ自身に関心が強すぎて他者がないがしろになるわけだな。
むしろ他者をコンテンツ生成器としてみている向きがある。
いや、違うな。社交不安障害で他者との交流ができないからコンテンツに関心を向けたのだろう。社交不安障害が緩和された今、再び人に関心が向きつつある
世は電子阿片時代
脳と直結したコンテンツ生成器が脳内麻薬を最大化する時代
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私には他者をコンテンツ生成器としてみている節があることは前述したが、私の親にもその傾向があり、明らかに私をコンテンツ生成器として見ている。度々、情報の取得を試みてくる。その背中を見て育った結果私もそうなったのだろう。
観測者と観測対象の間の関係性によってもコンテンツの強弱が変わる。自己の遺伝子を継承したコンテンツ生成器は、強いコンテンツ生成器になり得る。つまり、私の親にとって子である私は強いコンテンツ生成器としてみなされている。ここで問題になるのは、私が観測するのはいいが、私が観測されるのは不快だということだ。
一般的な人は一人でいることができず、人を誘う口実として映画やらゲームやらのコンテンツを使うわけだが、私のような人間はコンテンツ自身に関心が強すぎて他者がないがしろになるわけだな。
むしろ他者をコンテンツ生成器としてみている向きがある。
いや、違うな。社交不安障害で他者との交流ができないからコンテンツに関心を向けたのだろう。社交不安障害が緩和された今、再び人に関心が向きつつある