あれ
自己注目は抑うつや社交不安と関連がある
自己注目の不適応性については,臨床的な枠組みで議論がなされており(Ingram,1990),抑うつとの関連(Lewinsohn et al., 1985;Pyszczynski & Greenberg, 1987),社交不安との関連(Hope, Gansler, & Heimberg, 1989)など多くの研究で報告されている。
あれ
一般的な人は一人でいることができず、人を誘う口実として映画やらゲームやらのコンテンツを使うわけだが、私のような人間はコンテンツ自身に関心が強すぎて他者がないがしろになるわけだな。
むしろ他者をコンテンツ生成器としてみている向きがある。
いや、違うな。社交不安障害で他者との交流ができないからコンテンツに関心を向けたのだろう。社交不安障害が緩和された今、再び人に関心が向きつつある
metaverseよりもtextverseが流行れ
他人が何を考えているのかわからないことは、幼少の私にとって恐怖だった
表面的には普通に見えても、心の底では迷惑しているかもしれない。そんな考えが幼少の私の中に生まれ、それが恐怖で仕方がなかった。
この恐怖は大学を卒業するまで続いた。
最近では、「人の考えは分からないため表面的な反応を本心と取ろう」という風に少し諦めつつある。この考えに至るまでに時間がかかりすぎた。恐怖のために多くの機会を逃してきた。
原因としては私は嘘つきなのかもしれない。嘘つきだからこそ周りも嘘をついていると仮定してしまうのだろう。
最近ではずいぶんよくなった。心療内科に行き、薬を飲み、人とかかわることが増えた。
何かもやもやした感じがする。
何かもやもやした感じがする。
今日は悪い1日だった。
会議はうまくいかなかったし、やたらと肩がこるし、昨日薬を飲み忘れたし、SNSは誰もいないように感じられてしまうし、虚しさだけが付きまとう。
何かが足りていない感覚がある。
栄養は足りているし、睡眠も足りているし、足りないものは特に思いつかないが、精神が何かに飢えている。人とのかかわりが少なすぎることがどうにもよくない感じがする。承認欲求が満たされていない?彼女でも作れば精神が満たされるのだろうか。
運動も足りていない。
3000歩しか歩いていないらしい。1時間ぐらい歩いたほうがいい。週末もまるで外に出なかった。外に出る気が全くしなかったのだ。そもそも外に出る気がしないという時点で精神に不調をきたし始めている。そういう時期なのだろう。どうにも精神状態に波がある。それでも昔に比べればマシになったものだ。
書き出してみればボロボロである。
明日はいい1日だったといえるだろうか。いい一日にできるだろうか。今日のせめてもの償いとして、早く寝るぐらいはしておこう。明日に今日の未練を託す。
もう少し希望のある話がしたい。良くなっていることについて書こう。
半年前、1年前、10年前と比べると社交不安障害はずいぶん良くなった。昨日に至っては、人をゲームに誘うことに成功した。かつての私が中学校からの友人をゲームに誘うことができなかった。
SNSができるようになったのも成長した証だろう。5年前の私はTwitterでいいねをつけることすら恐怖だった。今も僅かに抵抗は残っているが、あまり気にならなくなった。
まっとうな人間になるまでもう少しだ。そうすれば恋人を作ることも叶うかもしれない。人生を取り戻せるかもしれない。
今日の仕事は散々だったが、最近の仕事の具合は悪くない。そもそも、今日の仕事が散々になることは織り込み済みだった。なんせ、厄介な調査・検討を1日でやる羽目になったからだ。早めにダメ出しを食らって方向転換できたのは、少し長めに見ればよかったといえる。
最近やっている週2回の調査報告も、忙しいが充実した気分になれている。
少し前までの状況では今のお客さんから契約を切られるのではないかと恐れていたが、今の状況なら大丈夫そうな感じがしている。環境が変わるのは避けたい。これで切られたら仕方がなかったとあきらめるほかない。できることはやっている。はずだ。
以降やることについてまとめてみる。
早く寝る。散歩する。友人とゲームする。恋人を作る。人とのかかわりをさらに増やす。
そんなところだろうか。
Tinderをはじめてみた
マッチングサービスのTinderをはじめてみた。社交不安障害の解決につながるとともに、恋人を作ることにもつながって一挙両得になるのではないだろうか。
今のところ出会いにはつながってない。サービスからしたら出会いにつながらずにだらだら続けてもらったほうがいい側面がある。だからどうなんだろう、うまくいくのだろうかという感じはする。
1か月分だけ課金したので、ダメだったら別のサービスに課金してみよう。