あれ
理想の社内Wikiシステムが作りたくなってる。『ガンダーラ』だ。
ファイル共有 + Slackだけでは、流れ去ってしまうか、死蔵されるかのどちらかになってしまう。時間を経て再利用できる仕組みが欲しい。
詰まるところ、ハイパーテキスト型組織を構築したい。「あれ」で書いたみたいに、ScrapboxとSlackを組み合わせるだけでも良い。すごいわがままを言えば、社内デライトを構築したい。
社内デライトを作るとして、オープンソース化されるか(検討はされている)、そういったサービス化されるかが必要になる(検討すらされてない)。もしくはデライトクローンを作ってしまうかだ(やりたくない・技術力的に困難)。ただ、それ以上に社内への導入と普及に苦労するだろうなと言う感触がある。どうやって説明し、どうやって説得すればいいのか今の私には検討がつかない。ここが私の弱みだな。主張が弱い。
現実的な解としてはやはり、スライドをWikiとして利用することだろうが、手動でするべき作業が多すぎて面倒臭すぎる。
あれ
開発者さんをふくめた利用者の思想信条が、右巻きだろうが左巻きだろうが一切検閲しない――「なぜならデライトはサービス全体が無限の「倉庫・図書館」であると同時に、巨大な「ゴミ箱」でもあるので、利用価値の高い知識は利用者の目にしやすい場所にとどまり、一方価値の低い知識はある種のノイズとして、集積された他の知識に埋もれていく」みたいなことが、おそらく開発者さんの言いたいことなのだろうと解釈する。
それはそれでいいと思うし、中立を装ってガンガン特定の思想・立場の人々を検閲しはじめた他のSNSよりもはるかに公正だとは思うけれど、筆者が言いたいのはもっとごく単純な話。
ゆくゆく収益化を目指す知識管理サービスとして、一方では「Twitterのような手軽で参入しやすいイメージ」を推進しつつ、もう一方で「思想的政治的な難解なイメージ」を植え付けていくのは、マーケティング戦略としてどうなんだろうという、素朴な疑問。アクセルとブレーキを同時に押している印象。
たとえば筆者は、今現在ある種のデモンストレーションというか、客寄せになればいいと思って、意図的に開発者さんに疑問を呈することで、いわばボクシングの公開スパーリングみたいなやりとりを仕掛けてみているわけだけど、現状大部分のユーザーが、こういう「とりとめもない議論」みたいなところまで踏み込めずに、「見出しだけの書き込み」にとどまっている。
「Twitterのように自由になんでも書き込める」をうたい文句にしながら、「難解なイメージ」が先行してしまって、みんな変に「堅苦しくお行儀よくしなければいけないような空気」が蔓延しつつあるように思える。
もう少しサービス全体に、肩の力の抜けた気楽な空気感を作り出せないもんかという話。くだらないユーモアとか、そういうのを増やすとか。