脳内の<社会は厳しいんだぞおじさん>に許されたい
出社すれば働いてる気分になれそうな気がする。家にいると、業務時間中は脳内のエライ人が無限に詰めてくる。サボるけど。焦燥感に追われながらいつもサボってる。何がとは言わないが許されたい。脳内の社会は厳しいんだぞおじさんに許されたい。
休みを取るよりサボるほうが楽なんだけど、精神は休まらないので長めの休みが取りたい。
成果を出したいという気持ちがあってしまうわけです。労働者が成果を出さないといけないというのは幻想だろうと思うわけです。仕事中毒というか、充実感中毒なわけです。目に見えない、よくわからない、定義のない充実感を求めて動いてしまうわけです。
充実感中毒が続くと成果で序列付けしてしまうので、成果を出してない人間を棒で叩きたい欲求が出てきてしまってよろしくない。
この、成果を出してない人間を棒で叩きたい欲求を自分で自分へ向けてる状態が、業務時間中のうっすらとしたストレスの原因になってる気がする。
つまるところサボる自分を自分で攻撃する構図がある。というか、この「サボる」という語を自分に対して使うということ自体が、自分自身に呪詛を吐いていると言える。
これをやめたい。
書きたいものも、作りたいものも、やりたいことも思いつかない
何か書きたいし、何か作りたい。ただ、作りたいものが思いつかないし、書きたいものも思いつかない。なので、思いつかないということを書き出してみる。
何かを作ってる間は充実感がある。充実感中毒なので、何か情熱を注げるものを見つけ、やりとげたい気分になっている。
やりたいことがないのはうつ病なのかもしれない。それともやる気がある状態が異常なのだろうか。
不満を書き連ねて、それに対する対策をとっていくのがいいのかもしれない。不満を我慢して日常と化してそうな気がする。こまごました不満が積み重なっている気がする。快適な生活を手に入れたい。しかし、快適な生活というものを思い描けない。とりあえず本棚が欲しい。いい加減、本を平積みするのはやめたい。