あれ
アイデンティティと成果物を紐づけないようにするというのはよく言われるが、なかなか難しい。5年ほどITエンジニアをしているが、それでも成果物に指摘(ダメ出し)を受けるとダメージを受ける。
とりあえずコードレビューする側が「shit」とか「クソコード」みたいな侮辱する言葉を避けるのは効果があると思う。こうしたダメであることしか示さない言葉を避け、もっと具体に踏み込み、「この個所をこのように変更するとこういった利点がある」といった指摘にできれば良い。簡単な言い換えでWinWinにできるはずだ。
行動への批判のみが可能であるという情報をもらった。コードを書く際のやり方に対して指摘ができればいいのだろう。行動への批判は以下の点で利点がある。
- 行動の変容により、成果物の品質が長期にわたって向上する
- 成果物への批判よりも人格攻撃の度合いが低い(教育から見たクソコード批判の問題点を読むにそういうことだと思うが、まだ十分に理解できていない。要調査。)
具体的にできそうな、コードを書く際の行動への批判については、以下ができそうだ。
成果物の問題点から行動の問題点を逆算し、実際に行動を観測し、それを指摘できれば良い。
過去に成された議論
ReRe: 発想を必要としていない
B̅さんの輪郭に引っ掛けて自分の考えを書くと、デライトや発想に関して以下のようなことを考えています。
- 輪郭を刹那的なものだと見ている。
- デライトに刹那的な思考を出力することで、全体として大きな思考のループを回し、熟慮している状態と変わらなくしたい。
- 発想の自己評価は難しい。他者の視点を入れるほうが良い。
- 「実は良い発想ではなかった」という失敗情報も記録に残したほうが良い。
輪郭を刹那的なものだとみている
散歩中のようなふとした時機に思い付いた己の刹那的な考えが,後々まで残すような価値ある発想であるとは思えない
以下の理由からデライトの輪郭というものを刹那的にとらえており、輪郭が後々まで残る(人の目に入る)ことは稀なのではないかと思っています。
- デライトがいつまで存在できるか分からない
- 不吉な話になるが、運営者の宇田川さんに不幸があればデライトが存続不可能になる
- 今後利用者が増加した場合、輪郭はたびたび掘り起こさないと埋もれていき、人の目に触れることは稀になる
- デライト上では投稿が編集順に並ぶ
- Google検索では、最近更新された(作成された)コンテンツが優先して表示される
- 他者の輪郭を検索することは難しい
特に、「デライトが存続不可能になる」ということを恐れていまして、『t_wの輪郭』を作っているのも自分が投稿した情報を残せるように自分でコントロールしたいという目的もあります。
デライトに刹那的な思考を出力することで、全体として大きな思考のループを回し、熟慮している状態と変わらなくしたい。
私がデライトを使っている理由の一つが実はここにもあって,私はデライトに「発想をゆったり育める場所」という側面を見出しているんですよね。
同意するところがあって、私もデライトに対して「発想をゆったり育める場所」を見出しています。ただ、その実現に関しては恐らく違いがあって、「じっくり考える」というのが思考を十分な回数行う(思考のループを十分回す)ということだとして、自分の頭の中だけで思考のループを回すのではなく、デライト→私の脳(刹那的な思考)→デライト→… というループを十分な回数を回すことができれば、それはじっくり考えたことになるのではないか?というようなことを考えています。
特に、私は記憶力が無いことを自負しており、記録を残さずに思考を深めることは不可能になっています。ただ、十分に記憶力があるのであれば、記録を残さずに十分熟慮したうえで投稿することも可能だと思います。
また、記憶力のなさ故に、熟慮しているつもりで同じことを何度も思考してしまうというのもあり、これを記述によって回避したいというのもあります。
発想の自己評価は難しい。他者の目を入れるほうが良い。
〝パッと思い付いた良い発想〟が実はまったく良い考えではなかった,というような実体験
は私も結構あって、というかほとんどの発想は良い考えではありませんでした。その際「実は全く良い考えではなかった」が発覚するのは、「他者から指摘を受けた時」と「発想を実際にしてみて失敗した時」が多いです。「考えた結果良い考えではなかった」となることはあまりないため、早い段階で出力して指摘を受けてしまったほうがお得と考えています。
特に、「考えた結果良い考えではなかった」となることはあまりないのは私の思考の特性として、「自分で自分の発想を気に入ってしまう」があって、どうしても肯定的に思考を深めてしまうところがあります。
「実は良い発想ではなかった」という失敗情報も記録に残したほうが良い。
良い発想でなかったという失敗情報を記録に残しておくことに有用性があると考えています。
後の自分や他人が同じ発想に至る可能性があり、その際に記録が残っていれば早期に「ああ、この発想は良い発想ではないんだな」ということに気づくことができ、大いに時間の節約になります。