2022年8月19日日記
最近デライターが増加傾向にある。デライターが増えると嬉しい。人が増えればさらに面白い場所になるだろう。
デライターの増加に関しては、希哲館訳語変換サービスの効果が地味に大きい。希哲館訳語変換サービスを見て川音リオ氏が来てくれた。川音リオ氏が連合宇宙でデライトを紹介してくれたおかげで、つぁいにゃお氏が来てくれた。デライトを紹介する難しさを感じていた私にはできなかったことを、川音リオ氏は成し遂げてくれた。ありがたい。
川音リオ氏によるデライトの紹介: https://misskey.io/notes/942r9593gx
つぁいにゃお氏との対話の中で、デライトの輪郭について理解が深まった。やはり他者の視点を取り入れると分かっていないことが分かる。
これも前景が奥(遠く)、後景が手前(近く)と同じく開発者の見解と違ってくる可能性があるのだが、デライト の輪郭というのは、輪郭そのものが概念を表すこともあるが、引き入れの関係によって、概念を包み込むものでもあると思っている。輪郭化(明文化)された概念があり、それが暗黙知を包み込みその輪郭を浮かび上がらせる。故にデライトの情報単位を「輪郭」と呼ぶのだと。
つまり下の図のようなイメージをしている。そのため、引き入れによる内外というものはなく、あるのはただ有向グラフにおける頂点と辺で、頂点が輪郭・辺が引き入れだと考えていた。
しかし言われてみれば、「引き入れ」というからには内側に取り込む意味合いがある。
輪郭の上下というのは南北のようなもので、その違いによって包含関係が生じるものではない?
そうです。位置関係を表している位置関係があるだけで包含関係が……
いや、包含関係も生じますね……
タスクリストを例にとれば、タスクリストという輪郭に対して個別のタスク(を描いた輪郭)を後景として引き入れます。
あああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!
今更ながら、気付いた!!
前景が中景を包み、中景が後景を包む意匠になっている!!
前景部分のちょろっと出てるやつ、ただ利便性のためだけにあるんだと思ってた!!
デライターが増えると仕事に手がつかなくなるというUDEがある。早く仕事をせずに済む身分になりたい。そうなる筋道は何もない。いかんせん、ビジネスの知識やセンスが皆無だ。何をすれば儲かるのか見当がつかない。私の時間を切り売りするぐらいしか思いつかない。サラリーマンを続けるよりは、独立してフリーランスか何かをした方がまだましな可能性はある。検討しておこう。ただ、独立やフリーランスになったとしてどうやって仕事を取ってくればいいのかも検討があまりついていない。やはりコネクションだろうか。この辺りは『THE MODEL』が詳しいが、どうしてもあの本は大規模な話になる。小規模ビジネスの営業活動についての知見が欲しい。そもそも、ビジネスについて真剣に考えられていない。作ることに偏重しすぎる。作ることが目的化する。技術者の悪いところだ。
デライトを読む面白さと、デライトで書く面白さはまた別のものだなと思う。『あれ』で「利用者がほとんどいない状態にもかかわらず、デライトは私の生活に食い込んだ。」と書いたが、これはまさにデライトで書く面白さによるものだろう。これに関してはデライターの数に依存する度合いが低い。
睡眠
0時に寝て、3時に目が覚めた。なんだこの体は。ふざけているのか。ちゃんと寝たい。
案の定、7時ごろに眠くなってきた。もう寝て休みたい。今日は休めないのでタクシーで出社しよう。出社さえしてしまえば何とかなるだろう。
出社したら何とかなった。今日が期限の仕事が間に合った。良くない成功体験だ。本当は覚悟を入れて休むべきだったのだ。こんなことはいつまでも続けられない。変動があった時に調整ができなければいけない。苦労による解決は慎むべきだ。
仕事中は非常に眠かった。というかしんどかった。椅子に座りながら寝たら少しマシになったが、こんな時に限って来客があって起こされてしまった。
家に帰った後、細切れに睡眠をとった。眠いのになぜか目が覚めてしまう。カフェインが良くないのだろうか。最近増えがちだ。週末に減らす努力をしてみようか。
ReRe: 発想を必要としていない
B̅さんの輪郭に引っ掛けて自分の考えを書くと、デライトや発想に関して以下のようなことを考えています。
- 輪郭を刹那的なものだと見ている。
- デライトに刹那的な思考を出力することで、全体として大きな思考のループを回し、熟慮している状態と変わらなくしたい。
- 発想の自己評価は難しい。他者の視点を入れるほうが良い。
- 「実は良い発想ではなかった」という失敗情報も記録に残したほうが良い。
輪郭を刹那的なものだとみている
散歩中のようなふとした時機に思い付いた己の刹那的な考えが,後々まで残すような価値ある発想であるとは思えない
以下の理由からデライトの輪郭というものを刹那的にとらえており、輪郭が後々まで残る(人の目に入る)ことは稀なのではないかと思っています。
- デライトがいつまで存在できるか分からない
- 不吉な話になるが、運営者の宇田川さんに不幸があればデライトが存続不可能になる
- 今後利用者が増加した場合、輪郭はたびたび掘り起こさないと埋もれていき、人の目に触れることは稀になる
- デライト上では投稿が編集順に並ぶ
- Google検索では、最近更新された(作成された)コンテンツが優先して表示される
- 他者の輪郭を検索することは難しい
特に、「デライトが存続不可能になる」ということを恐れていまして、『t_wの輪郭』を作っているのも自分が投稿した情報を残せるように自分でコントロールしたいという目的もあります。
デライトに刹那的な思考を出力することで、全体として大きな思考のループを回し、熟慮している状態と変わらなくしたい。
私がデライトを使っている理由の一つが実はここにもあって,私はデライトに「発想をゆったり育める場所」という側面を見出しているんですよね。
同意するところがあって、私もデライトに対して「発想をゆったり育める場所」を見出しています。ただ、その実現に関しては恐らく違いがあって、「じっくり考える」というのが思考を十分な回数行う(思考のループを十分回す)ということだとして、自分の頭の中だけで思考のループを回すのではなく、デライト→私の脳(刹那的な思考)→デライト→… というループを十分な回数を回すことができれば、それはじっくり考えたことになるのではないか?というようなことを考えています。
特に、私は記憶力が無いことを自負しており、記録を残さずに思考を深めることは不可能になっています。ただ、十分に記憶力があるのであれば、記録を残さずに十分熟慮したうえで投稿することも可能だと思います。
また、記憶力のなさ故に、熟慮しているつもりで同じことを何度も思考してしまうというのもあり、これを記述によって回避したいというのもあります。
発想の自己評価は難しい。他者の目を入れるほうが良い。
〝パッと思い付いた良い発想〟が実はまったく良い考えではなかった,というような実体験
は私も結構あって、というかほとんどの発想は良い考えではありませんでした。その際「実は全く良い考えではなかった」が発覚するのは、「他者から指摘を受けた時」と「発想を実際にしてみて失敗した時」が多いです。「考えた結果良い考えではなかった」となることはあまりないため、早い段階で出力して指摘を受けてしまったほうがお得と考えています。
特に、「考えた結果良い考えではなかった」となることはあまりないのは私の思考の特性として、「自分で自分の発想を気に入ってしまう」があって、どうしても肯定的に思考を深めてしまうところがあります。
「実は良い発想ではなかった」という失敗情報も記録に残したほうが良い。
良い発想でなかったという失敗情報を記録に残しておくことに有用性があると考えています。
後の自分や他人が同じ発想に至る可能性があり、その際に記録が残っていれば早期に「ああ、この発想は良い発想ではないんだな」ということに気づくことができ、大いに時間の節約になります。