t_wの輪郭

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抽象化早すぎる
描写埋め込みの難しさアウトラインによる執筆は早すぎる抽象化
  • 文章の部品として使った場合、文章の不調和が顕になる。
    • 論理的つながりの不和があらかじめわかるという利点としてみることもできる
    • 文章の書き方の不一致が生じる
      • 「です、ます」、「だ、である」の不一致
      • 段落で字下げをするかしないかの不一致
      • 見出しの粒度の不一致
  • 変化する

 プログラミングでたまに言われる、「関数として共通化するよりコピペしたほうが良い」みたいなところがある。早すぎる抽象化だ。

 描写埋め込みが強力であると見ているが、関数継承同様に「大いなる力には、大いなる責任が伴う」ということだろうか。

[うちあわせCast]でよく言及される[見出しを立ててから書いてもその通りに書けない]という問題は、具体的なもの(本文)が書かれる前に抽象的なもの(見出し)が立てられるという意味で、「早すぎる抽象化」と言えそう

見出しを作る行為を抽象化として捉えるのは非常に面白い。意識していなかったし、今まで「早すぎる抽象化」と結び付くこともなかった

執筆という行為だけを取るのであれば、本文を書いてから見出しアウトライン)を書くと「早すぎる抽象化」は避けることができるだろう。ただ、商業的には見出し案を提示して企画を通す必要があるし、見出し案に沿って本文を書くことで、一貫性を持った書籍を作ることができる。ボトムアップだけでは方向性を持たせることが難しい。