t_wの輪郭

先日少し長文を書いて思ったのだが、デライトは見出しが無くても困らない。ただし、自分が読み書きする分にはという制約は付く。

見出しにしてしまうよりも、輪郭にしてしまう。その後に引き入れで関係性を構築する。この方が書いていて心地が良い。順番を気にする必要がなくなるし、再利用性も高まる。矛盾を気にする必要もない。輪郭の中で整合性が取れてさえいればいい。

人に読んでもらう場合にはやはり見出しを使って一つの輪郭にまとめてしまった方が良いのだろう。その方が読みやすいはずだ。

見出しの呪い

2022/7/4 18:19:00

文書の中で一度見出しを使うと、それ以降の文章の区切りに見出しをつけなければいけなくなる現象

[うちあわせCast]でよく言及される[見出しを立ててから書いてもその通りに書けない]という問題は、具体的なもの(本文)が書かれる前に抽象的なもの(見出し)が立てられるという意味で、「早すぎる抽象化」と言えそう

見出しを作る行為を抽象化として捉えるのは非常に面白い。意識していなかったし、今まで「早すぎる抽象化」と結び付くこともなかった

執筆という行為だけを取るのであれば、本文を書いてから見出しアウトライン)を書くと「早すぎる抽象化」は避けることができるだろう。ただ、商業的には見出し案を提示して企画を通す必要があるし、見出し案に沿って本文を書くことで、一貫性を持った書籍を作ることができる。ボトムアップだけでは方向性を持たせることが難しい。