同期型コミュニケーションが怖い
あれ
株式会社という仕組みは発案者が金を持ってなくてもいいというのがいいな。
特許申請の段階から出資を受けにいくというのは面白いというか、私になかった発想だ。そんな気軽に出資を受けていいものなんだな。
文輪も出資を募ってみたら面白いかもしれない。ただ、出資者に縛られるのはなんというか面白くない感じもするし、他者からお金をもらうことに対して恐怖もある。精神が弱い。
あれ
製作者の宇田川さんは「デライトは個人知識管理サービスの火薬庫」だと言っている。火薬庫の名の通り、デライト利用者は指数関数的(爆発的)に増加すると、私も見ている。今まさに指数関数的に増加しているところだ。コンテンツが人を呼び、人がコンテンツを作ると言った循環が起こっている。デライトの急拡大が目前に迫っていると感じている。
デライト利用者が増加している。描き出し頻度は少ないものの定着する人も出てきているし、新規に描き出す人も増えている。本当にデライト利用者が指数関数的に増加するのであれば、ここから10人、100人、1000人と増加していくだろう。ともすれば、2022年中に描き出しをするデライト利用者が100人を超えるのではないかと思っている。これまでの増加ペースを見てみるのも面白いだろう。
デライトの急拡大を目前にして、それに恐怖していることに気づいた。生活が一変してしまう恐怖だ。利用者がほとんどいない状態にもかかわらず、デライトは私の生活に食い込んだ。利用者が一桁の段階で、私の従来の仕事をして賃金を得る生活は限界に近づいてきている。仕事が手につかなくなってきている。二桁の10人を超えれば、デライト中毒によっていよいよ仕事ができなくなるかもしれない。三桁の100人を超えてしまうと、もうどうなるか想像がつかない。想像もつかない未来に至ってしまう、それに対する恐怖だ。デライト急拡大の恐怖と言えるだろう。
無邪気に、「デライトの利用者増えないかな。100人ぐらい。」などとのたまい、デライト利用者増加のためにnoteに書き込むなどしていたが、これ以上、輪郭をnoteに転載するのは中止にすべきだろう。私の心と生活を整えるためにも、しばらくデライトには安定拡大に留まっていてもらう必要がある。自分が火薬庫で火遊びする無知な子供だったことを、今更ながらに自覚した。
他人が何を考えているのかわからないことは、幼少の私にとって恐怖だった
表面的には普通に見えても、心の底では迷惑しているかもしれない。そんな考えが幼少の私の中に生まれ、それが恐怖で仕方がなかった。
この恐怖は大学を卒業するまで続いた。
最近では、「人の考えは分からないため表面的な反応を本心と取ろう」という風に少し諦めつつある。この考えに至るまでに時間がかかりすぎた。恐怖のために多くの機会を逃してきた。
原因としては私は嘘つきなのかもしれない。嘘つきだからこそ周りも嘘をついていると仮定してしまうのだろう。
最近ではずいぶんよくなった。心療内科に行き、薬を飲み、人とかかわることが増えた。