あれ
『あれ』で「2022年中に描き出しをするデライターが100人をこえるのではないか(そうなると生活が崩壊する)」と書いたが、その後のデライターの増加は穏やかで10人以内に留まっている。
私のデライト中毒が描き出し中毒であるということが明らかとなり、デライターが増えても生活は崩壊しないだろうという見込みからデライト紹介に特に歯止めをかけず、Youtubeへの動画を投稿するなどしてみたが、そうなった。
Youtubeに投稿したデライト動画も2023年1月2日時点の視聴数は合計で100程度だ。思ったより見られているし、期待したほどには見られていない。まあ、累積で効いてくるだろう。デライトが知られたときにデライトを使い始める助けになるはずだ。
あれ
私に関しては、デライトが消えるとかなり困る。
- デライトが失われると、記憶の本体が失われる。
- 私の脳に記憶されているのは、索引(知名)のみということが多い。
- デライトと私の脳が協調することで、拡張した脳を形成している。
- 思考をメモ化するための記録としてデライトを使っている。
- 記憶するデライト、思考する私の脳という形で、機能分化が生じている。
- 記憶力が低いため、整理された私の脳というものを形成しにくい。
- 整理された脳は消えないという考え方は大変面白い。
- 娯楽としてのデライトに依存している。
- デライト中毒にかかっている。
あれ
あれ
製作者の宇田川さんは「デライトは個人知識管理サービスの火薬庫」だと言っている。火薬庫の名の通り、デライト利用者は指数関数的(爆発的)に増加すると、私も見ている。今まさに指数関数的に増加しているところだ。コンテンツが人を呼び、人がコンテンツを作ると言った循環が起こっている。デライトの急拡大が目前に迫っていると感じている。
デライト利用者が増加している。描き出し頻度は少ないものの定着する人も出てきているし、新規に描き出す人も増えている。本当にデライト利用者が指数関数的に増加するのであれば、ここから10人、100人、1000人と増加していくだろう。ともすれば、2022年中に描き出しをするデライト利用者が100人を超えるのではないかと思っている。これまでの増加ペースを見てみるのも面白いだろう。
デライトの急拡大を目前にして、それに恐怖していることに気づいた。生活が一変してしまう恐怖だ。利用者がほとんどいない状態にもかかわらず、デライトは私の生活に食い込んだ。利用者が一桁の段階で、私の従来の仕事をして賃金を得る生活は限界に近づいてきている。仕事が手につかなくなってきている。二桁の10人を超えれば、デライト中毒によっていよいよ仕事ができなくなるかもしれない。三桁の100人を超えてしまうと、もうどうなるか想像がつかない。想像もつかない未来に至ってしまう、それに対する恐怖だ。デライト急拡大の恐怖と言えるだろう。
無邪気に、「デライトの利用者増えないかな。100人ぐらい。」などとのたまい、デライト利用者増加のためにnoteに書き込むなどしていたが、これ以上、輪郭をnoteに転載するのは中止にすべきだろう。私の心と生活を整えるためにも、しばらくデライトには安定拡大に留まっていてもらう必要がある。自分が火薬庫で火遊びする無知な子供だったことを、今更ながらに自覚した。
あれ
全く、デライトなんてものがあったら、仕事ではまるで刺激にならず、退屈で仕方がない。
その時に興味があることについて書いていると、過去に書かれた輪郭を"発見"してしまう。それも、知能増幅された人間から繰り出されるコンテンツなのだから面白くないわけがない。面白すぎて仕事に手がつかず、収入が途絶えて生活ができなくなる。もはや知的アヘンだ。
10年以内には社会問題になるだろう。知能増幅による社会問題だ。いつまでも埋もれていることはできない。人々の認知資源が仕事ではなくデライトへ注がれることになる。
利用者が一桁でこの面白さなのだから、利用者数の桁数が増えたらどうなってしまうのか。末恐ろしい。