インターネットに情報を発信しても反応がない。もし反応があったらびっくりする。
もっと反応を得たいという気持ちがあるが、反応を最大化しようとすると、極論に走ることになる。だが、まだ心がインターネットになってないので、そうした行動はとることができない。もっと承認欲求に素直になってきたら、行動も変わっていってしまうのだろうか。
インターネットに情報を発信しても反応がない。もし反応があったらびっくりする。
もっと反応を得たいという気持ちがあるが、反応を最大化しようとすると、極論に走ることになる。だが、まだ心がインターネットになってないので、そうした行動はとることができない。もっと承認欲求に素直になってきたら、行動も変わっていってしまうのだろうか。
知識労働者にとっては知識が資本なので、知識を供出させることは難しい。特に個々の成果で評価する場合は尚更だろう。
その一方でインターネット上には知識が溢れている。その理由は承認欲求によるものだとみられる。
もし企業内に知識の供出に対する承認があれば、つまりWiki的なものに、承認欲求を充足させるSNS的な機能(タイムライン・いいね・リポスト・コメント)を組み合わせれば、企業内であっても個人知から組織知への変換が活性化するのではないだろうか。
簡易的な実装として考えられるのは、Wiki(Scrapbox)に変更があれば、チャット(Slack・Teams)のタイムラインに掲載されるような仕組みだろう。
知識の創発的性質を活用するのも手だろう。人一人の知識でできることはたかが知れているが、複数人の知識をより合わせれば、その総和よりも遥かに複雑なことが可能になる。チームとしてそれを評価することができれば良い。