2022年11月15日日記
1時半に目が覚める。中途覚醒だ。再び寝ようとしても眠れないので、寝るのをやめて起きていることにして、本を読んだ。
5時に再度眠りにつき、7時半に起きた。そのまま出社するも眠い。机に突っ伏して眠る。カスである。
さすがに午後になって作業をした。2時間で今日の分の作業が終わる。作業が希少リソースだ。やりすぎると、後半にやることがなくて退屈することになる。
仕事でやることがなくなり、本(中埜肇『弁証法―自由な思考のために』)を読んだが、本を読むのも疲れてしまった。さりとてやることもない。マッチングアプリをしたいが、画像で通信容量が消費されるのが惜しい。先月はやりすぎて通信速度制限を受けた。
仕事を終えて帰宅した。ラーメンを食べた。散歩もした。疲労感が取れない。朝早く起きすぎた。睡眠が足りていない。早く寝たい。早く寝るのが惜しい。何を惜しんでいるんだろう、何もできないのに。
意を決して21時に眠りについた
退屈と暇の分類
暇がある | 暇がない | |
---|---|---|
退屈している | ||
退屈していない |
文化の水平接種
関心のある作品から、別のメディアによる表現にだんだんと移行してやると楽しみやすそう
文章による作品(A)
Aの映像化(B)
Bで使われた音楽(C)
Bの制作者の他作品(D)
少し調べる行程を踏めば、楽しめる作品が増えるはずだ。
退屈の対策にもなるだろう。
あれ
やることが無い。外に出るには暑すぎるし、開発したいものも特にない。やる気が出ない。退屈なので、昼寝をしたり、podcastを聞いたり、SNSをしたり、退屈について考えたりして過ごした。
暇ではないが退屈
「暇はないけれども退屈だ」という状態はどうか。一見謎めいているけれども、実は多くの人がよく経験していることではないかと思います。つまり、何かをやろうとしているけれども心ここにあらずのような状態。例えば、オフィスにいるけれども仕事に身が入らないというようなときは、これに当てはまるのではないでしょうか。
都市が退屈を生む
ジンメルは論文「大都市と精神生活」(一九〇三)で、外的、内的な刺激の迅速な交代が「神経生活の高揚」を生む大都市では、刺激があまりに過剰で強力すぎるための一種の適応現象として、独特な「倦怠」という無感覚状態が生まれているとした