Misskey.ioの利用者の急増と、デライトの凪
Misskey.ioは2023年で利用者が急増した。2023年1月頃には1日のアクティブユーザーは500人程度だったが、2023年12月には11,000人程度となっている。11ヶ月の間に22倍に増えたことになる。ピーク時の2023年7月2日には59,000人のアクティブユーザーが記録されている。また、Fediverse全体としても、利用者が増えているようだ。
Fediverseの利用者急増は、Twitter(改名後は𝕏だがこの文章においてはTwitterで統一)において繰り返される騒動によってもたらされた。イーロン・マスクによるTwitter買収、サービスの改名、光る𝕏の看板、アカウント凍結祭りなど。Twitterに対する信頼は失われ、なにをやってもFediverseに利用者が流入するような状況だ。
Twitterで収益化プログラムが始まったのは特に酷い。ツイートのインプレッションによって収益が得られる仕組みだが、有名人やRTの多いツイートには必ずインプレッション稼ぎのための低品質なリプライが付けられている。これではマトモな利用者から離れ、クソの煮凝りになっていく。
結論として、イーロン・マスクは、Twitterがギリギリで保っていた、「利用者の質」とも言うべきなにかを壊してしまった。この先に待つのは、利用者の質の加速的な低下、利用者の減少、収益の減少、サービスの終了だ。もうすでにサービスの終了以外は進行が始まっている。
では、Fediverseはこの世の楽園となるか?Twitterに代わる巨大なSNSとなるか?ならないと私は予測する。利用者が増えればTwitterと同じ道を歩む。利用者同士の軋轢、低品質な投稿や違法な投稿の氾濫、サーバーの運営費の高騰、不完全なモデレーションとそれに対する不満。Twitterが包含した、ありとあらゆる不合理が待っている。また、分散型であるがゆえに、サーバーの運営費はTwitterよりも深刻なものとなる可能性が高い。その他の問題に関しても、Twitterに比べて問題を解決・緩和できるような何かを分散型SNSが持っているようには見えない。
Twitterが斃れれば、行き場を失ったクソの煮凝りがFediverseに押し寄せる。その時、Twitterと共倒れして死ぬか、鎖国するかだ。Fedibirdは鎖国を選び、現在招待制となっている。
一方、デライトの利用者の増加は依然として緩やかだ。MisskeyやMastodonに比べてTwitterとの違いが大きすぎるために、Twitterからの流入は限定的となる。独自性が良くも悪くも防波堤として働いている。デライトは「Twitterの代わり」を探す人の目には入らない。Twitterが斃れた後も、それは変わらず、Twitterからの移住は皆無だろう。
インプレッションに代表される承認欲求がかつてのSNSを駆動した。デライターの増加を推し進めるのは、もっと質的に異なる、知識欲だろう。すなわち、希哲を持つ人の増加こそが、デライターを増加させる。
あれ
なぜデライターが増えないのかは依然として謎である。
第一次デライト応援広告によってデライターが増加しなかったのを見るに、単純に露出が足りないという問題でないことは分かった。
時代や人々にとってデライトが早すぎるという問題もあるだろう。ソフトウェアの利用に長けているであろうソフトウェア開発者にとってさせ、デライトはわかりにくい。ただそうした言い訳をしていては10年20年待つことになってしまう。朝が来ないなら朝を迎えに行きたい。
あれ
『あれ』で「2022年中に描き出しをするデライターが100人をこえるのではないか(そうなると生活が崩壊する)」と書いたが、その後のデライターの増加は穏やかで10人以内に留まっている。
私のデライト中毒が描き出し中毒であるということが明らかとなり、デライターが増えても生活は崩壊しないだろうという見込みからデライト紹介に特に歯止めをかけず、Youtubeへの動画を投稿するなどしてみたが、そうなった。
Youtubeに投稿したデライト動画も2023年1月2日時点の視聴数は合計で100程度だ。思ったより見られているし、期待したほどには見られていない。まあ、累積で効いてくるだろう。デライトが知られたときにデライトを使い始める助けになるはずだ。
あれ
デライトでデライトを言語化して簡単に説明できるようになれば、自ずとデライターが増加すると思っていたが、思うほど増加していない。
私の言語化能力を超えていて、読んだ人に「デライト面白そう」、「デライト使ってみたい」と思わせることに失敗している。
そもそも、「デライトをわかりやすく説明する」ということにばかり力を入れて、デライトの面白さを文章化してない。「使えば分かる」というナイーブな考えをしていた。「良いものを作れば売れる」という思考と同じだ。まず「分かりやすさ」の前段として「面白そう」というところが制約になっている。
「デライトの楽しみ方」みたいな文章や動画を作ると良いのだろう。今一度、デライト紹介動画を作ろう。
あれ
「この流れに乗じてデライター増加を狙い、上流のTwitterで宣伝する」とかできたらいいのだが、私のTwitterでの発信力が皆無だ。
そもそも、Twitterに安住していた人たちにとって、デライトが求めるものだろうかという疑問もある。勝手が違いすぎる。Twitterには合わない人。自分のメモに深く潜るような人が合っている気がする。ある種、自己完結した人ともいえる。
どうすればそういった人たちに情報が到達するだろうか。
一見、倉下 忠憲氏のような知的生産を生業や関心とする人々に情報が到達すれば良いと思われるが、実のところそういった人たちはN10K 騒動でもうすでにデライトを知っており、そのうえでデライトを選んでいない。彼・彼女らはすでに自らの個人知識管理の手段(ツール・サービス)を有しており、そこから離れることがない。離れることができない。
星取表的に機能を比較すればNotionが勝つし、Wiki的なものを求めればScrapboxに行きつく。それらと比較すれば、デライトはあたかも機能的に貧弱・不合理に映る。
全知検索一つとっても、一見不便な検索機能にしか見えないし、自ら索引を作っていくという行為に対してもただただ面倒なことをしているように見える。その実、輪郭法との組み合わせによって、意図通りの検索結果を返す検索エンジンとなってくれることはまだ多くには知られていない。「メモによって索引を作る」という発想に至っている人間でさえごく限られている。デライト以外でこれに似たことをしている事例は、増井俊之氏のGictionary以外に知らない。しかし、このGictionaryでさえも、IMEのための言葉の置き場という以上の物にはなっていない。
単純にメモを取ることだけを目的にすれば、Google KeepやMac純正メモアプリに軍配が上がる。理解が容易だ。
デライトの利用者が増えてきた
デライトの利用者が増えてほしい
デライトの利用者が増えて投稿数が爆発的に増えたときに、輪郭法ではどうなるのかを観測したい。
粘着質な荒らしが出てきたときにもどうなるのか気になっている。
自分にとって興味のない無意味な投稿がどれだけたくさんあっても、楽しく使えるのではないかという仮説を検証したい。
ただ、まだ人に紹介するには臆する状況で、UIの難解さ・輪郭のなじみのなさなどが心理的に引っかかっているのかもしれない。
天動説(複雑な物)を信じている人たちに地動説(単純な物)を説明するような気持になる。複雑なものを説明するのも難しいが、簡単な物を説明するのも難しい。