マーケティングを行うものが消費者の消費行動に着目しがちで、消費者の生活行動が視点から抜け落ちてしまうことを戒める・脱構築する言葉っぽい?
デジタルマーケティング
デライト動画が伸びない
はい。ウーム。どうやったものかな。伸ばしたい。
既存の、デライトをすでに知っている層にしか届いてない。気がする。動画を公開したらMisskey.ioでお知らせしているが、いつメンが見ている気がする。
Youtubeで公開すれば、レコメンドの風に乗ってどこかに届くというのは幻想だった。しっかりと「どこに届けるか」を考えなければいけない。シッカリィ!
マーケティングというか、SEOというか、そういうことをちゃんと考えないと、デライト動画を見てもらうのは難しい。
「デライトというのを知ったから、じゃあ動画見てみるか」みたいな導線じゃなくて、そもそもデライトを知ってもらわないと難しい。そして、何も知らない状態の人にデライトの情報を届けるのは難しい。ほかの情報(検索語)との抱き合わせにしないといけない。ただ、抱き合わせでデライト動画を見てもらったとして、「だまされた」と思われてしまっては元も子もない。「デライト良さそう」と思ってもらわなければ意味がない。
もし私にすごい影響力というか多数の購読者を持っていれば、「デライトいいぞ」と発信するだけで多くの人に届いたかもしれないが、そうではないので頭を使わないといけない。今から影響力を高めていくという戦略は、迂遠だが無くはない。しかしまあ、何者かになるの怖すぎる。無名のふわっとした多数派でいたい。
「マーケティングとかいいから作りたいものを作れ、結果は後からついてくる」という考えが頭をもたげる。作りたいものってなんや……って話になってくる。
言語勢に届けることを考えて、カタカナ語を翻訳した希哲館訳語の紹介動画とかおもろいかもしれない。「カタカナ語を滅ぼす!?希哲館訳語を紹介!!」みたいな。この場合検索で引っかかるであろうキーワードが「カタカナ語」になるわけだけど、どれぐらい検索量があるものかわからない。
あれ
Youtubeで動画を出したり、自前のサイトをもってそれのSEO的に良さそうなキーワードを考えたりということをしていると、お金をかけずにマーケティングの勉強になってる気がする。何も考えずにGoogle Adwordsとか出してたらお金をかけて勉強することになっただろう。お金だけ失う形になる。Youtubeやサイト運営は良い素振りになっている。
実践によって自身の無知を知り、情報を届ける難しさを体感できている。
ネット
生活者
『“生活者データ・ドリブン”マーケティングとは』
あれ
マーケティングオートメーション
マーケティング、インサイドセールス、フィールドセールスの分業体制
あれ
コンテンツマーケティング
『マーケが「ペルソナ」作りっぱなしにする話』
『セグメンテーションとは?図解で分かるターゲティングとの違いやマーケティングへ活かす方法』
『プロダクトマネジメントのすべて 事業戦略・IT開発・UXデザイン・マーケティングからチーム・組織運営まで』
FUD
FUD(英: Fear, Uncertainty and Doubt、直訳すると「恐怖、不安、疑念」)は、販売、マーケティング、パブリック・リレーションズ[1][2]、政治、プロパガンダで使われる修辞および誤謬の戦術の一種
あまりよく知られていない製品の欠点について疑わしい情報を広めることにより、相対的な技術的利点がどうであれ、意思決定者が大企業の製品ではなくその他社の製品を選ぶことを思いとどまらせることができる。
引用元: https://ja.wikipedia.org/wiki/FUD
接触元: https://qiita.com/tayama0324/items/499a5fed2a1c8479a5cf