あれ
Googleブログでは、100万ビューを優に超えるアクセスを、15年掛けて達成しておりますが、多分、15年間で、25万円位の収益だったと思う。それが、たったの1週間で15000円超です。
ブログの収益性の悪さが何とかならないかなぁと思う。Google Adsenseに依存している限り、収益性の悪さは何ともならなさそう。別の収益システムを構築したほうが良い。
別の収益システムを考えると、有料のオンラインサロン的なものや、noteがやっている記事を売る収益構造が頭に浮かびやすい。既存のプラットフォーム乗っかって、次々収益性が高いプラットフォームに乗り換えていくのが良いのだろう。
しかし、自前主義がそれを阻む。IT屋として、自前でシステムを構築しなければ、ITの知識が身についていかない。実際、『t_wの輪郭』に攻撃が来た件で、対応をいろいろ検討するだけでも学びがあった。
そして新規性のなさ。新規性の罠とはわかっていても、他の人とは違うことがしたくなる。独自性の罠といっても良い。まずは模倣から入るぐらいの方が良いのは分かっていても、「自分で考えた理論で一山当てたい」と思ってしまう。そう思って行動していても、結局ほかの人とどっこいどっこいになってしまうのがオチかもしれないが。
もはや、ブログ単体で儲けるということ自体が時代遅れとなっている(ほんまか)。皆(みんなって誰だよ)、自前のビジネスを持っていて、そのビジネスを加速させるためにブログを用いている。
「案件」という選択肢もある。PVを集め、PR記事を投稿する。自前の商品を用意するかわりに、他人の商品を宣伝して収益を得る。商品が売れる文章を書かなくてはいけない。大変な作業だ。
「好きなことをして生きていく」が、呪詛に聞こえてくる。そんなふうにうまくいくのは、一握りだけということか。諦めを持ちつ、趣味として続けて行くしかない。
ブログ悲観論の解像度が上がってきた。ノウハウを売る人たちが謳う世界と、現実のギャップ。コミュニケーションを夢見る人たちと、現実のギャップ。
あれ
最近ブログ悲観論をちょいちょい見かけるので考えてみている。現時点での考えをつらつら書いてみる。
「WordPressブログはもはや「センセーショナルなタイトルとSEOを武器に、バカがバカを相手に稼ぐ」という意味しか持たないメディアに成り下がった」
「Google検索によって発見され、Google Adsenseの広告によって収益を得る。企業案件やアフィリエイトブログでなければ、これがブログの最もメジャーな運用」
センセーショナルな本文だ。
ブログの多くがGoogle AdSenseを収入源としているために、少数の賢い人を相手に文章を書いても稼ぐことはできないのだろう。多数の「バカ」、つまり読解力の低い人でもわかるような薄い内容の文章の記事を書くことが優位な戦略となってしまう。この問題に輪をかけるのが、読解力の高い人は広告クリック率が低いという問題だ。例えば、一般的に読解力の高いであろうITエンジニアが読む、技術ブログのアドセンスのクリック率は極めて低く、0.06%となっている(『技術ブログは稼げるのか?1年以上続けた結果の収益は?』より)。これでは収益は上がらない上に安定しない。
Google検索の検索結果の品質について言及されている。確かに今回「エンジニアのクリック率」で検索したところ、クリック率について説明するページばかりが出てきて役には立っていない。Twitterで検索したところ目的の情報に当たることができた。この点においてはTwitterが勝っていたと言える。
本当にGoogle検索の検索結果の品質は低いのだろうか?Google検索を利用する人はどんどん増え、広く膾炙した。最大公約数的な品質を高めるならば、ブログを書くような一部の読解力が高い人が満足する検索結果が得られないのは当然だと思われる。
検索結果を個人に最適化することができればこのような問題も解決するかもしれないが、プライバシーの問題があるために最適化するに得る情報を収集することができないのかもしれない。また、検索というのはその人が今まで検索したことが無いものを検索することが多く、その結果がどうあるべきかについてGoogle検索があらかじめ知ることは不可能だ。
「ブログでは「まとめきる」ことができないんです。まとめきろうとすると、どうしても記事の長さは長大になります。例えばObsidianなら、軽く10万字は超えるでしょう。」
10万字の記事がなぜダメなのかについては書かれていないが、おそらく長い文章は読まれないということに対して悲観していると思われる。アクセス数が増えない。労力に見合わない。長文を読める読解力の高い人は広告をクリックしない。
現時点での結論としては、Google検索・Google Adsenseというエコシステムに依存しているようでは読解力の高い人が満足するような文章が出回ることは難しいのかもしれない。
しかしかつては本や雑誌という媒体でお金を支払わなければ情報を得ることが難しかったことを考えれば、無料でお金を支払うことなく(低品質でも)情報を得ることができる状態になっていることは社会にとって有益だ。また、読解力が低い人が読解力を高めるハシゴとなっている。
『Obsidian.mdの本、書きます』
文章で生きる道
ブログやそのプラットフォームの維持が難しいのは、そのままマネタイズの難しさであると考えてよい。文章書いているだけでバンバンお金が回るならば、今のような状況にはなっていまい。実際、広告費が入り込んでいるのは、動画メディアである。よって、そうしたマネー回路に接続したいのなら、ブログのような文章メディアはあっさりと捨て去って、新しい世界に飛び込めばいいだろう。
「ブログは金にならない」。17年ブログをやった倉下氏の結論がこれなのだろう。
さて、本当にそうなのだろうか?市場規模を見てみよう。ブログの収入源であるアフィリエイトの2020年度の市場規模は3,221億円(矢野経済研究所の調査より)である。一方、2020年の動画広告市場は2,954億円(サイバーエージェントの調査より)となっている。数字だけ見ればアフィリエイトのほうが市場規模が大きく、収入を得られる可能性が高く感じられる。ただ成長率に目を向けるとアフィリエイトは前年度比104.0%(矢野経済研究所の調査より)、動画は昨年比114%(サイバーエージェントの調査より)の成長となっている。この成長率の違いがブログ悲観論につながっている可能性はある。
ブログでは稼げないとして、なぜブログはお金を稼げるメディアにならなかったのだろうか。稼げる媒体がWebメディアとしての体裁を得ただけで、稼げなかった媒体がブログ、特に個人ブログと呼ばれているだけなのではないか。
文章が金にならないわけではない。新聞・雑誌・書籍などは文章で構成されているが仕事として成り立っている。単純に、文章の品質が問題なのではないか。ブログの文章はプロセスとして校閲を伴わないために、文章の質が低くなる傾向がある。
私がトンネルChannel | 倉下忠憲@rashita2 | Substackという媒体で試みているのは、それまでとは違ったゲームを展開できる場の模索である。
倉下氏はSubstackへの転換を試みている。
Substackを簡単に説明すると文章のサブスクリプションサービスを作れるサービスである。つまり著作者はSubstackを通して文章を配信することができ、それを読むためには月々の支払いが必要になる。支払われた料金のうちSubstackの取り分がひかれた金額が著作者に支払われる形態だ。
動画投稿プラットフォーム大手のYoutubeにもチャンネルと呼ばれるシステムがあり、これとSubstackは類似している。どちらにも購読という形の共通点がある。広告による不安定な収入ではなく購読者による安定した収入が著作者と消費者をつなぐ鍵なのかもしれない。